ぐにゃぐにゃトポロジー

日記。タイトルは本文と関係ありません。

殺意の代償(蚊に起こされた日記)

 

 

蚊が耳の近くを飛ぶ。

 

プーーーン

 

このプーーーンという音が大嫌いだ。

あまりにも耳障りで理性が揺らいでしまう。

明確な殺意を持って耳元で思い切り手を叩いた。

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その後ずーっと片耳が聞こえない。

 

まあまあ焦っている。

                                                                                   

 

蚊対策を全くしていないので部屋に蚊が毎日入ってきては

毎晩3ヶ所ずつ刺されている。

決まって寝ているときに刺されるので、枕元にムヒのチューブを置き、痒さで目覚めては、瞼を閉じたまま手にとり塗る。というのを朝まで繰り返している。

耳元さえ通らなければ叩いたりしない、やられたい放題で構わないが耳元を通るのだけがどうしても許せない。

でもいつも叩く時も「逃げてぇぇえぇ――!パチンパチンパチン!!!」という調子で叩いているからか、明確な殺意をもってしても仕留められず、逃げ延びた蚊に刺されてしまう。

 

蚊へ。

これを読んでいる蚊へ。

耳の近くを飛ぶのだけ勘弁してください。

耳の近くを飛ぶのと、治らない病気の菌を持ってくるのだけ本当やめてください。

 

プリウスみたいな蚊生まれろ。

霜降り明星 単独ライブ「かぜおこし」に行ってきた!

 

 

幕張に降りたつ。西葛西から海浜幕張がこんなに近いとは知らなんだ。

 

目的地は幕張メッセではなくイオンモールである。なぜなのか。

理由はひとつ。題名のとおりだ。

時間軸を現在に合わせた書きだしにするのであれば、

「最高だった」の一言に尽きる。

同い年であることが誇らしく思えたほどだ。

生まれてから今日まで同じだけの時間を与えられても、

これだけ生きる世界がズレていくのは不思議である。

 

なんとなくの覚え書きを残しておく。

だいたいこんな感じだっただろうという流れ。順番等記憶は全くもって定かなものではない。

今回の単独タイトルは「かぜおこし」これは会場後のBGMがポケモンゲーム音楽だったことから推測するにポケモンの技から命名したと思われる。

 ―オープニングトーク

 ―紙切り粗品さん)ー

  • はじめてのおつかい

 ―ボールバランス古今東西せいやさん)ー

  • 遊園地っていいよね
  • カラオケもいい

 ―高速フリップ(粗品さん)ー

  • 宇宙人~どの星でも女には優しく~
  • お寿司とかけて何と解く

 ―なんなんじゃそりゃ(せいやさん)ー

  • 漫画返して
  • おじゃ魔女どれみカーニバル

 ―アンケートトーク

  • 小学校の思い出

 

嘘みたいだろ。これが全部面白いんだぜ。

思わずタッチ口調になっているところからも今の私の機嫌の良さがわかる。

それだけに全編に亘って最高に面白かったこということだ。

 

漫才が10本。やりすぎだ。体力が無尽蔵ですか。太陽光ですか。

さすがに幕が閉じてゆく最後の最後はヘトヘトに見えたが、

90分走り抜けて岡崎と長谷部みたいな顔してた。

 

最初に配布されたアンケートに「一番面白かったのはどの漫才でしたか?」という設問があったので、暗転中は暗闇の中で暫定一位の選出をしたりしていたのだが、

私の中では「おジャ魔女どれみカーニバル漫才」が最終的に勝ち抜いた結果となった。

本人が最強漫才と呼ぶ漫才だけある。その呼び名に違わぬ正真正銘の傑作選。

 

全部の瞬間が面白かったので、ダイジェストで振り返ってみる。

生で見てより面白かった瞬間を、将来ぜひ冥土の土産にしようと思う。

 

―オープニングトーク

■大阪からわざわざ来てくれたお客さんにブーイングギャク披露。(せいや

なんでそんなことする。どういうルールのお笑いなのそれ。話が進んでも思い出して笑っちゃって話入ってこなかった。

トークから漫才へ移行するのはせいやさんの台詞きっかけだったが、なかなか言わず。

霜降り明星の単独ライブ!スタート!!」というコールを叫びかける。

 

―漫才1本目「その歌知らん」ー

■坂田師匠の知らんギャグ

どのモノマネも完成度高くて感心してしまうけど本当に知らん歌。面白い。この漫才はテレビでみたことがあるが、何回見てもおもしろいものはおもしろい。「スプーンに映った~」のところは女子が4回転サルコウ決めたのかと思うくらいの拍手喝采だった。

 

―漫才2本目「アンパンマン」ー

■生で観た方がよりカバ強め。

М1グランプリ敗者復活のネタ。生で観れて最高の気分。テンポ良すぎてリズムネタに思えてきた。「ワンバン!」の小気味よさ。バタコさん抱えてる時の泣きの演技が上手。終始会場内の笑いが途切れなかった。

 

粗品の自己紹介「紙切り」ー

板尾創路さんの象のおもしろさを思い出す。

粗品さんは象は歩かせなかった。

「終盤のバブ」が聞き取れないお客さん多数も時間差でみんなに終盤のバブが行き渡る。しっかり全部ウケてた。

www.youtube.com

 

―漫才3本目「はじめてのおつかい」ー

■日本人はじめてのおつかい、神回、しょげるわを筆頭にツッコミが光る光るの入れ食い状態。せいやさんはもうこの時点で汗ビッショリ。

 

せいやの自己紹介「ボールバランス古今東西」ー

■男性のお客さんからもらったお題は「時代劇」

サッカーボールを額に乗せてお題に対して10個言うという特技。

水戸黄門鬼平犯科帳、必殺仕事人………

いや10個も時代劇言える人間いるの。お題に笑った。

「昔のアニメ」とズボン脱ぐのをやっていたが、普通にすごい。体幹すごい。

 

―漫才4本目「遊園地っていいよね」―

■女の話にしては聞ける

でも女の話らしい話をする女のほうが確実にモテているのが私たちの生きているこの世界。

 

―漫才5本目「カラオケもいい」―

■P&GってそんなにいっぱいCM打ってるんだという知識が増える。

歌がうますぎる。子守唄と、こぶたぬきつねこはこの漫才で出てきたのかどうかが思い出せない。

 

粗品の高速フリップー

■お兄さんお姉さん父方のおじいちゃん母方のおばあちゃん

以前、Aマッソ加納さんに「メッシのドリブル見てるみたい」と言わしめた粗品さんの起源。「泣くな」を聞きたかったが登場せず。実家の客室でトーナメント組んでみましたも好き。女流棋士のOKサインと最後だけ見たことないフリップだった気がした。

それにしても、「2pの虹」はお客さんに伝わらなすぎに思うのに頻出フリップの座を下されずにいるのはテレビで見ていても気になって仕方ない。明らかに伝わっていないのだと思うのですがどうだろう。「2pの虹」だけ静か~になるんですが舞台上だとわからないものなのかどうしてもやりたいのかが気になるところ。つまらないわけではなく「は?どういう意味?」という空気がお客さんの半分以上から漏れ出ているのはあまりに礼太郎…あ、え、あ、に奇妙な光景だった。

ちなみに「2pの虹」というのはゲームで友だちと二人で遊んでいますと、女子は大概ヨッシーを使いたがりますからヨッシーを取り合うわけです。でも二人とも緑色のヨッシーでは見分けがつかなくなってしまうので1Pのコントローラーの人がオリジナルカラーの緑ヨッシー。残る2Pのコントローラーの人はピンクとか赤とかのヨッシーを使わなきゃいけないのです。これはもうそういう法律があります。この法律を守ったことのある人のみぞ伝わる「2Pの虹」です。

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伝わらんでいい。めちゃくちゃにどっちでもいい。

みんなそれぞれがそれぞれで

わかることだけで生きていこう。

 

―漫才6本目「宇宙人」―

■どの星でも女には優しく

フリップネタでみんな呑気に笑っているけど、いつ宇宙人が攻めて来るかもわからないんだぞという警鐘をならされる。

どの漫才よりも会場に笑いが響いていたように思う。イオン全体が揺れていてもおかしくないくらい。揺れすぎて何機かエレベーター止まったんじゃない?

 

―漫才7本目「お寿司とかけて何と解く」―

■オールポイズン

蠍・シリビン・水銀・青酸カリ・ヒ素

 

せいやのなんなんじゃそりゃー

■銀色のおっぱいの名前はチンベル

改良に改良を重ねたなんなんじゃそりゃ。左胸、心臓の位置にチンベルを装備。

誰にも言ったことはないが密かに「銀色のおっぱい」という存在として私の中で認識を固めていたのだが、あれはチンベルというものらしい。

なんなんじゃそりゃの人がそう呼んでた。

そんなことはどうでもいい。

なんなんじゃそりゃ面白かった。進歩がすごい。すごいぞ。

国土地理院が公開しているここ40年の幕張の変化を比較する航空写真を見たことがあるだろうか。今なんなんじゃそりゃを見て笑っている劇場もかつては陸地ですらなく海だった場所だ。幕張メッセマリンスタジアムも全て埋め立て地の上に建てたものだ。全部海だったのにこんなに都会的な街が出来上がった歴史ある場所。それが幕張だ。

その幕張の地で幕張の成長を彷彿とさせるほどに「なんなんじゃそりゃ」は急成長を遂げていた。格段に面白さが増していて今回一番感動した。

参考画像(1970年代の幕張↓)

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―漫才8本目「漫画返して」―

■アグネス独唱でチャラ

「なんなんじゃそりゃすごいことになってるなぁ~」と粗品さん。

そんなことよりネタ合わせの時に貸したコナンを返してと粗品さん。

フリートークが続いているのか漫才中なのかわからなくなっちゃったお客さん。

しばらくどっちかわからなくてそういう空気が漂う。

途中で客席全体が「あ、漫才だ!」ってなった瞬間を感じることができた。

アグネスチャンさんの歌を聴かせるせいやさん。歌がやっぱり上手でみんな聞き入ってしまう。が、それでチャラの交渉提案になるとは面白すぎる。が、歌手のCHARAさんがチラついて「これでCHARAや。」という変なボケだと一瞬思ってしまい、前頭葉がグズグズってなった。

殴らないための耐え方が可笑しすぎた。

 

―漫才9本目「おジャ魔女どれみカーニバル」―

■どれみちゃん達の圧勝

この日一番笑った。名作。後半、あれ?聞こえて来た?ずっと声出してた?あれ?聞こえる!聞こえてきた!と思いきやのフィナーレ。最高。

カスケードと競り合ってマキバオーが勝ったときのことを思い出したなぁ。

最後のおじゃ魔女カーニバルの捲り方は歴史に残る。

 

―アンケートトーク

粗品は優しい

事前にお客さんから回収したアンケートをもとに質問や希望にこたえる。

初っ端から粗品さんが目を通した末に選んだのは、

「お互いの好きなところをランキング形式で3つ教えてください」

なんでそれなのかとせいやさんから文句を食らうが、お互いを褒め合う時間に。

粗品さんは「自分にないものを全部もっているところ」だそう。

せいやさんは、新しい波の収録で慣れない東京のスタジオなのに自分のせいで喧嘩をしてしまった。それなのに出番直前の舞台袖で下手側にスタンバイしている自分のところまで上手側からわざわざ来て「俺も言い方キツかった」と粗品さんから謝りに来てくれたというエピソードを話されていました。

「元々ピン芸人としてで高く評価されていたのに、その地位を捨ててまでコンビを組んでくれて自分をこの世界に誘ってくれたところ」という回答もありました。

仲が良いっていいですね。

トークのやりとりを聞いている限りではせいやさんはしっかりしているように思えたのだけれど、騙されているのでしょうか。

続いて「体でしりとりをしてください」に対しては

そ「リス」せ「スルーパス」そ「スイカ」せ「カールおじさん」で「ん」が付いて終了も、言う前にカールおじさんだとわかったので粗品さんの言うとおり器用な人だと思った。

 

最後は「今までやったことのないモノマネ」で

「人のフリスク横取りするやつ」というのをせいやさんが初披露していたが、

横取りされるまでに粗品さんはフリスク40粒くらい食べてたのが面白かった。

横取り待ち以外でそんなにフリスク口に運び続ける人いない。

そのモノマネは「周りにいたらダルイやつ」シリーズというものの一つらしく、なんなんじゃそりゃに続く「だぁぁ~るぅぅ~」というギャグが良かった。

 

―漫才10本目「小学校の思い出」―

■「喋るな」からの「濡れるな」

バツウケテイナーで見て、霜降り明星の虜になったネタ。

言うぞ言うぞという期待感と聞けた聞けたという満足感が行ったり来たり。

たくさん笑って時間が過ぎるのが惜しくてたまらなかった。

 

 

 

幕がしまってそのまま終演。         

霜降り明星の真骨頂を見た。

無駄のないどこまでも格好良い単独ライブだった。

 

 

初見の漫才はもちろん、展開をも台詞をも知っていても面白いことが凄いことだと思う。

漫才でよくある題材やパターンが多く散りばめられているのに新鮮味もあるのってなんでなんで。

手を洗うとか、ハンドアとか、溺れてからの負けてもプロとか、歌わせて野党とか、どの漫才にも組み込めるシーンがあるのって見ていて楽しくて良い。どこで出てくるかわからないから出てきたときにうれしい。

もう一つ気がついたことは、粗品さんは相方の頭を決して叩かなかったということ。

手をなんというのだろう、置いてる。乗せてる。コットンパックを馴染ませてるのかな?ってくらいの力で。どちらかというと人を褒めるときのよう。元気づけるときのよう。

けれどもツッコミの印象は鋭いのでずば抜けてたバランス感覚を持っているとしか…。

お二方ともに天才!天才!大天才!

 

圧巻のかぜおこし。一人残らず笑かしていた。なんて格好がいいのだろう。

ポケモンの技で言うところの「かぜおこし」は命中率が100パーセントの技である。

その名に背かない大爆笑を聞いた夜だった。

映画「SING」は 歌の力が良く分かる映画!

 

ついたちです。映画の日です。

水曜日です。レディースデイです。

だから

映画「SING」を観た。よかったのでお伝えします。

 

「SING」。なんてシンプルなタイトル。

最近は4文節のタイトルとか宣言系のタイトルが蔓延っているので暑い日の熱い風呂くらいグッときますね。

 

このタイトルで歌わなかったらアメリカでは裁判を起こされるので

裁判を起こされたくない主人公は歌のコンテストを開くことに。

吐くはずのなかった嘘がチラシによって街のみんなの元へばら撒かれるところからお話は始まります。

 

この映画のいいところは何といっても

この冒頭の嘘が全く話に生きてこないところだと思う。

何しろ、びっくりするくらいに終始健やかな世界なのだ。

少なくとも誰かが誰かを妬んだりする世界ではない。

 

歌モノの映画やドラマというのは往々にして

主人公はもちろんのこと登場人物にはそれぞれ

抱えている悩みや葛藤があるもので、

ましてコンテストモノならば、それぞれに勝たなきゃいけない理由があり

積み重ねて来た膨大な時間や積り積った思いを背負っていることが物語の面白みなり深みなりとして盛り込まれているものだ。

少なくとも誰が優勝するのかワクワクしたりはするものだ。

 

たれ蔵と、アローと、ピーターⅡと、カスケード。

みんなに負けて欲しくない気持ちを持ったりとかあると思うんだ。

 

しかし、「SING」はそうではない。

「SING」に出てくるコンテスト出場者の中で、何が何でも優勝しなければならない理由のあるものは一人(一匹)もいない!

コンテストに参加するのは

皆が皆、たとえば今現在の生活がこのまま続いても

不幸だと感じるでもないこのままでも悪くはない。

そんな環境下にいる出場者のみ。

愛すること愛されることをちゃんと知っており、

優勝できると踏んで自らの足でコンテストに繰り出してくる程度には、歌が上手い自負もある。

人より得意なことがあると思えるのは実はとっても尊いことだ。

ただ、なんだかあと少しが、ほんの少しが足りない届かない上手くいかない。

そんな人達(動物達)の映画。

 

背負うものが特にあるわけでもない。優勝してもしなくても生活は続いていく。

一見すると、与えられてばかりの人生を送っている登場人物オンリーなわけですが、それがいいのです。

苦難があってもあっという間に救われちゃって、

簡単に許されちゃって、

真面目にお金稼いだりしてるやつなんて誰も出てこなくて。

でもまぁそういうひとって余裕があるから自分以外の存在に優しいよねって思ったり。

その辺ですれ違う大量の歩行者の人生はきっとこんなものだ。

限界まで頑張らなくても困りやしない人生。ありふれた人生。

 

なのに!なのに!

 

そんな人生を生きる彼らの歌がステージで弾けるように輝くんです。

笑みがこぼれ、胸が熱くなる。

楽しいんですよ。歌って最高ですよ。

 

レミゼは人生を背負って魂を燃やして歌い上げる歌が

観ている人に届いて堪らない高揚感を生み出すけれど、

「SING」は誰とも特別違わない登場人物たちの歌がきちんと届くのだから、純粋に歌って最高!と思えて良い。

 

歌の力ってものがどんな姿をしているかを

窺い知ることができた気がした。

 

ダイレクトに歌が飛び出してくる。

しっかりと受け止めて、抱きしめて、映画館から連れ出して、家に連れ帰って、布団の中に連れ込んで、「歌っていいな」という気持ちとメロディを抱えて眠った。とても良い夢が見れた。最高の夢だった。

 

ちなみにその日見た夢だが、

自分の顔に象の鼻が生えて(ミーナの鼻)、鼻が重すぎて首を痛める夢を見た。

首が完全に終わってるけど鼻も終わってて見られたくないから病院に行けないと悩んだり、鼻先から丸めてって何ロール行けるか試みたりな夢。

起きたら本当に首の後ろを痛めていたが、

自分の鼻を抱き枕にした感触がこの世のものとは思えないくらいに最高に気持ち良かった。”ひんやりもにもに”の感触を一生忘れない。忘れたくない。

もう一度同じ夢を見たい。もにもにしたい。もに足りない。

 

ただ一つ映画の中で気になったのは、アメリカンジョークなのか何なのか、いろんな作品に登場するあるあるシーンなのだけれど、

お金をくれた通りすがりのお猿さんに対してネズミが引くくらいのカツアゲを仕掛けるシーンがありましてね、

喘息持ちのお猿は吸入器を落としてしまうのですよ。

そこでネズミが聞く。「ハッパでも吸うのか?」

 

いや、ひっどーい!悪すぎるって!ネズミは体の大きさからして食費も家賃もかからないんだからお金いらないだろうにそんな暴言まで吐くの!

 

似たような台詞や掛け合いは洋画でよく見かける気がするが、

子どもの見る映画でこのシーンを入れるのは違和感たっぷりで、館内の子どもたちの反応が急に気になった。

チュウ兵衛親分ならそんなこと絶対言わないのに!

 

それでもマイクの歌はピカイチだ。

もうそれなんだよ。この映画はそれなんだ。

みんなの歌なんだ。歌うみんながみんなの歌う歌が素敵なんだって。

 

歌の力が存分に味わえる映画「SING」。

歌が好きならきっと好きだ。だから見てみたらいい。

レッドブルを飲むよりもガツンとエナジーを補給できるぞ。

夢の中で翼が生えるどころか象の鼻が生えちゃうくらいのエナジーを

是非とも体感して欲しいものです。

 

 

おしまい

ことわざ四コマ。

 

金曜日に会社で「ドラえもんことわざ辞典」

を貸してもらったので、持ち歩いている。

ドラえもんのことわざ辞典 (メディアライフ・シリーズ)

ドラえもんのことわざ辞典 (メディアライフ・シリーズ)

 

 

四コマ漫画を読むだけでことわざを学べるというコンセプトの素敵な本だ。

 

ただ、読む意欲を削ぐ理由として、

この本は五十音順に掲載してあるから

「一石二鳥」よりも「虻蜂取らず」を先に学習してしまう。

 

そのために「楽しく漫画を読んで頭まで良くなろうだなんて、そんな上手い話があるもんか。」そんな気持ちに最初はならざるを得なくなるので注意が必要だ。

 

ことわざは得意な方なのだが、

笑いのツボが小学生と同じだと社内で言われているためにこの本を渡されたようです。

 

風評被害問題の深刻さを身をもって感じている。

 

 

それでも借りたばかりの本というのはワクワクする。

昨日の今日なので、読みたい気持ちが身体を突き破りそうなのだけれど、人の目のあるところではなかなか出しづらい・・・まして電車の中なんて。

 

しかし友達のRはなかなか来ない・・・

待ち合わせは17時30分だ。

もうその時間はとうに過ぎている。

待ち合わせ時間を決めたのはRじゃないか。

と、いつもなら腹を立てたりして待つのかもしれないが今日はとっておきの道具を持っているのでR!

 

たらららったらーーーーー!

 

・・・

 

んん・・・

 

やっぱり人目が気になる・・・

即座にカバンにしまう。

 

今同じ本を

今ここで読んでいる人がいたら

大親友になれそうだと思った。

 

が、その後、針のむしろになる覚悟を決め

再度本を取り出して10秒後。

持ち前の想像力で、

周りの人間を無として消し去ることに成功。

 

 

こ、これは。

お、おもしろい。

 

 

すっかり気に入りました。

 

 

時に、

 

風評が正しいこともある。

 

 

読んでいるだけだと飽きてくる。

自分でも作ってみたくなる。

 

スマホで写真を撮って切って貼って

遅刻魔Rに送りつける。

 

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これに対するRからの返信は「おまたせしてます」でした。

見事なまでのスルー。この上ないスルーぶり。

 

雄弁は銀沈黙は金!!

 

いい友達をもてて私はとても幸せです。

 

 

 

 

おしまい

 

ぜんまいざむらいを知っているか。 〜キングオブコメディ高橋パーケンをぜんまいざむらいで考える。〜



キングオブコメディ高橋健一さんの裁判が終わった。

言い渡された判決は執行猶予4年の懲役2年6ヶ月。

 

パーケンが捕まったことを知った瞬間をよく覚えている。

ずーーっと仲の良かった親友が逮捕されたような、そんな気持ちだった。

 

パーケンは高橋さんの愛称である。

 

パーケンパーケンと呼ぶ人の全てが、一報を聞いて、皆一様に動揺したことは想像に難くない。

 

20年以上も前から何度も高校に忍び込んでは女子高生の制服を盗み続け、自宅から押収された制服は1000点を超えている。

一度冤罪で捕まった過去もあるパーケンだが、冤罪で捕まったとき、留置所から出てきて帰った家には山ほど盗んだ制服があり、それに囲まれながら眠りについた夜があったのかと思ったら、悲しいしやるせない。

 

そう、彼は

どろぼうなんだ。

 

いけないことは、いけないこと。

そんなことはわかっている。

でも、それでも、私は、パーケンを悪い人だとは、どうしても思えない。

情けなくて仕方がなくて本当にやり切れない。こんな思いをたくさんの人にさせてしまうのは、それはやっぱり悪い人なのかもしれない。

 

でも本当に悪い人なら誰もこんな思いをしなくてすむ。

今日は、やり切れない気持ちを消せなくて日記を書いている。

 

日本でいちばん有名などろぼうは

おそらく、ルパン三世だろう。

 

ルパン三世はどろぼうだけど、

ルパンがどろぼうだと知って、

同じ思いをしないでいられるのは、

アニメだからではなく

ルパンを知ったその時から

ルパンはどろぼうだったからだろう。

どろぼうのルパンしか知らないからだろう。

 

よく知っている人がどろぼうだったと知るのは本当に言葉にならない気持ちだ。どろぼうをする人だとは思わなかったからこそしんどいのだ。そして悔しいのだ。

 

刑務所から出てきたら、パーケンはどうなるのだろう?

 

ぜんまいざむらいをよく見ていた。

ぜんまいざむらいはアニメのタイトルで、そのアニメの主人公であり、どろぼうだ。

 

あらましはこうだ。

 

どろぼうの最中に、井戸に落ちて死んでしまったぜんの助。(後のぜんまいざむらいである)

 

神様が現れて、死んだぜんの助の頭に、なんと神様はぜんまいをねじ込む。ねじ込まれても出血したりしないのは死んでるからだろうか。

 

頭のぜんまいによって生命活動を再開したぜんの助は、ぜんまいざむらいとしてそれから毎日善行を積むのです。

 

何故、善行を積むのかといえば、自分の罪を省みたとかそんなことではありません。

 

善い行いをしなければ、死んでしまうからです。

 

善をほどこせば、頭のぜんまいが巻かれてヒットポイントすなわち生きていられる時間が増えるのです。

悪い行いをするとぜんまいは逆巻きされてしまいます。

もちろん生きているだけでも、ぜんまいはほぐれてゆきます。

ぜんまいがほぐれきってしまうと死んでしまうのです。

 

ぜんまいざむらいは死にたくないので、善いことを毎日探すのです。

 

それに加えて、人の煩悩と同じだけの数の善(108つの善)をほどこせば、その時には人間に戻れるというのが神様と交わした契約なので、人間になりたいぜんまいざむらいは善行を重ねてゆくのです。

 

さて、

 

108の善をほどこし、人間になったぜんまいざむらいは、はたして盗みを働くことをしないのか。

 

 

どう思うだろう。

 

 

私は盗んでしまうんじゃないかという疑いはどうしても手放すことはできない。

 

 

ぜんまいざむらいに対しても

パーケンに対してもだ。

 

ぜんまいざむらいは打ち切りになってしまったので、人間に戻れるのかどうなのかや、人間に戻ったあとの事などはもうこの先描かれることは無いのかもしれない。

 

パーケンは打ち切りになってしまわぬよう、何を願うかと言えば、真摯に犯した罪と向き合って再出発できるように願っています。名前の通り健やかーにこの先を生きて!お笑い続けてくれ!続けてくれー!無理でも無理でも続けて欲しいんだ。

 

ニコニコキングオブコメディこそ打ち切りになったわけでしたが、いつの日か最新回が観れたとしたなら、、と、そう願って止まないのに悔しさで前が見えない。

真ん中の日だからなんなんだ


 

今日は、昼の12時に待ち合わせをした。

 

 

待ち合わせ時刻を決めたのは私だった。

それ以上キリの良い時間はどこにも存在しないように思えた。

 

 

今日は2013年のちょうど真ん中の日で、水曜日だ。

水曜日は週の真ん中の日だ。

それで、もうすぐ一日の真ん中の時間になる。

そんなことを考えながら友達のAくんを待った。

名前が「あ」から始まるからAくんだ。

実際の呼び名ではない。

本名が「A」という名前なわけでもない。

 

 

今日を終えて得た人生に役立つ忠告を報告する。

待ち合わせ時間に理由など持たせてはいけないということである。

 

 

仕事以外では時間にルーズな私が、人の遅刻に腹を立てることはそうありません。

 

でも今日はどうしても12時ちょうどに行動を始めたかった。

12時ちょうどじゃないとダメだった。だってそこが真ん中だから。

 

ただそれだけの理由だけどそのことがその時は大切なことに思えたのだ。

 

時計の長針が1200分を過ぎた時、Aは待ち合わせ場所に到着していなかった。

長針が傾くほどに、同じだけ私の機嫌も傾いた。

 

ほんの少し遅れて来ただけだったのに、怒られたA

怒った私が言うことではないが、本当に不運だった。

 

だって私と同じことを考えているAではないから。

待ち合わせの時刻に理由があるとは考えていなかっただろうから。

そのことすらがっかりしたのもまた事実で、

もしも真ん中だって指摘してくれたら惚れるのにと思った。

 

 

そんな人間はいない。

そんなことは知っているつもりだ。

そんなことに気がついてくれる人間がいたらいいのにとそれでも期待してしまうから

こんなどうしようもない毎日は続くんだろう。

 

 

日が暮れて、ピザを食べている時。

Aジブリ映画「風立ちぬ」のポスターについての話を終えた後に

「今日さ、会ったときのテンション低かったよね?」という疑問を投げかけてきた。

まさか機嫌が悪いとは思わなかったようで元気がないので心配になったのだというから、なんて優しい。怒られたのに優しさを貫けるのはすごいな。

 

 

「真ん中じゃなくなったから」

 

 

明らかな説明不足ってこういうことを言うのだろうけど、

でも説明したくはないんだよなといつも思う。

 

すぐに言わなきゃよかった黙っていてもよかったのになんで声に出しちゃったんだろうと後悔した。会話が明らかにストップしてしまって時間よ戻れと願った。

 

 

時間は戻らない。

 

どんなときも。

 

どうして。どうして戻らないんだろう。

 

 

無言を分け入って、注文したケーキが運ばれてきた。

 

ケーキには刺す所が3本に分かれたフォークが付いてきた。

 

始めに配られたフォークは刺す所が4つに分かれたものだった。

 

「どうでもいい話していいですか」

 

「ぜひどうぞ」

 

 

 

 

時間は戻らない。ならもう進むしかない。

 

 

 

 

「・・・奇数ってさ、真ん中があるよね」

 

二つのフォークを手に取って

この世でいちばんどうでもいい話を私は始めた。本当に、どうして時間は戻らないんだろう。

 

 

「今年はうるう年じゃないから1年は365日。

365は奇数だから真ん中の日が存在するということになる。

その真ん中の日は、72日、今日なの。

 

1週間は7日。

7も奇数だから曜日にも真ん中の曜日があるということ。

 カレンダーで言うと真ん中は水曜日。今日は水曜日。

 

1日は24時間。

24は偶数だけど真ん中の時間は12時。

だから今日は12時に待ち合わせをと。」

 

 

精一杯だった。だからなんだと一蹴されるようなことを気にする人間の話なんて聞くだけ無駄なのに、こんな話を聞かせて無駄な時間を過ごさせてるようでいたたまれなかった。

 

 

ちなみにだが、

この話を隣の席の男女が明らかに盗み聞きしており、

隣で堂々と話題にし始め大変気まずい思いをした。

話題にするなら私達か、もしくは自分達が店を出てからにするべきだ。

 

 

この話を受けたAの返しは

「待って、なんで24は偶数なのに真ん中があるの?」でした。

 

いい奴すぎる。

 

「そりゃあ、24時間が本当は偶数じゃないからですね」

 

「あー、なるほどね。新一はコナンだけどコナンは新一じゃないのと一緒だね。」

 

「全然違います。紙に書いて説明します。」

 

1週間は 1,2,3,4,5,6,7

 

24時間は 0,1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22,23,24

 

1日は0時から始まるから「1~24」のほかに「0」も数える。

合わせて「25」個の数字になる。「25」の真ん中の数が「12」。

 

「あー、なるほどね。事件を解決したのは小五郎だけどコナンでコナンだけど小五郎みたいなことだね。」

 

「もうそれでいいです。」

 

 

 

こんなどうでもいいことを話せる友達はそういない。聞いてるんだか聞いてないんだからわからないからどんなことを話すにも気が楽だ。

私の友達になってくれてありがとう。

Aの思いに報えるよう、生きねば。

風立ちぬ」のポスター話を聞いてそう思いました。

 

 

 

 

 

おしまい